惹かれる星の少年[少年の部ログ5]
2019年02月04日(月)
2019-02-04 22:45
私は私はあの遊星をも併呑したい[編]
こんにちは小原です
どれだけの年月が流れたでしょうか
もう随分前のことのように思えます
最後に投稿したのが
さて、最近世界史が佳境と言った感じで世界大戦真っ只中。とても面白くなってきました。そんな中で少し時代を遡りイギリス3C政策のあたり。部長のタペストリーを開きながら凄く惹かれる項目がありました。それがタイトルの通り、かの有名なセシル・ローズのこのセリフなわけです。訳したからかわかりませんがこのセリフには色々種類がありまして、例えば
「できることなら私は、夜空に浮かぶ星さえも併合したい」
とか
「できることなら私は惑星をも併合したい」
とか
小・中学生時代は「傲慢だ」なんて評価していたこのセリフとこの電信おじさん。
高校になって惹かれ直したのはこの訳の所為ではないかと。
「私はあの遊星をも併呑したい」
これまでのイマイチなやつを批判させていただくならば
一つ、「できることならば」がいらない。支配者たる彼には似つかわしくないです。不可能を知らない人が魅力と共にあるのです
二つ、「惑星」というと地球な感じがしてなんか違います。そんな小さなことで収まるセシルではない
三つ、「併合」という言葉がなんともありきたりでつまらない
それにひきかえどうでしょうこのタペストリーの訳者は「遊星」「併呑」
呑むですよ呑む!この呑むという言葉ほど彼を的確に表す動詞はないでしょう。彼の欲望の凄まじさたるや、あはれ
一般に欲望は醜いと揶揄され、我らはそれを懸命に隠匿します。しかし、彼のこの言葉を思えば、彼の底のない野心と率直な感情は、私達とは対照的に、人間たる本質的な強さの上に成り立っているように感じるでしょう。我らが本能と呼ぶものです。そういった偽りのない魅力が私を繋ぎとめて離さないのです。
神の誕生以降、欲のない事が美徳として崇め奉られるのが世の理で、欲望とは古くから宗教的絶対悪として捉えられてきました。
しかし、欲のない人間など張りぼてに過ぎないのもまた事実。淡白で浅薄。畢竟、つまらないと言うにつきます。
人間としてこの地に生まれ落ちた以上、欲望との共依存は約束されているのです。飽くなき欲求、生への、知への探求。我らを育て動かしてきたのはそういった己が自身の本能であったように思います。
だから私は嫌いなのです。人間を理性の存在と位置づけ、力の根源を抑圧する、かの人類崇拝者たちが。
人間は理性、自由意志以前に一介の動物であると、欲望を罵りその身に纏った仮初めの尊厳を祀り上げることこそが真の傲慢であると。僕はそう声を大にして叫びたいのです。
いや、ありきたりな考えですね
話が逸れました。タペストリーを書いた人もそう思ってればいいなぁと思ったというだけの話です。お目汚し失礼しました。
「さて次はどの星を呑んでやろうか」
名ばかりの部長がそう呟いた
ああ気持ち悪い
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